あれからもう既に10年が過ぎた。アルゼンチン財政破綻

2001年12月1日は私にとって、いや我が家庭にとって絶対に忘れることのできない日だ。
当時永住まで考えていたアルゼンチンの突然の国家財政破綻。。。

今思い出してもその時のショックは大変なものだった。
私にとって、「晴天の霹靂」という言葉を人生で初めて使った瞬間でもあった。

当時の事を専門家の纏めから抜粋して紹介して見よう。

◆12月1日には預金封鎖が実施されました。アルゼンチン政府は国民が銀行から引き出せる額を週に上限250ドルとしました。海外送金も制限され、貿易を除き1日1000ドルまでに制限されたり、月400ドルの年金支払いが滞り、銀行の前には年金の払い戻しを受けようと老人たちが長い列を作りました。

その一方で、いよいよ資金難に陥ったアルゼンチン政府は外国から借りた金の利払いが難しくなり、IMFからの緊急支援を必要としていましたが、融資の条件となっていた緊縮予算案は議会を通らないままだったので、IMFは融資を断りました。これに対して怒った国民は、12月13日に再びゼネストを敢行しまし た。それは、国民が250ドルしかおろせなくなっている間に、外国系金融機関は大口取引が規制されていないために12月から1月にかけて150億ドルもの 資金をアルゼンチン市場から引き出してしまったからです。

◆12月24日ロドリゲス・サー暫定大統領は、1320億ドルの対外債務の支払いを一時停止するという発表を行いました。この結果、日本でもアルゼンチン政府が発行したサムライ債(円建て外債)の支払いがなされず、4月にデフォルト(債務不履行)となりました。この時すでに変動相場制に移行していたため、為 替のレートが1ドル=1ペソから1ドル=1.5~1.8ペソとなり、さらに国内銀行の総預金残高の70%がドル建てで預金していたため、ドル不足となり、国民のドル預金を強制的にペソに換えていきました。ドル建ての定期預金も1ドル=1.4ペソで交換し預金凍結を実施しました。

2003年3月には1ドル=3ペソを突破。凍結されていたドル建て預金は引き出し制限が解除されました。しかし実勢相場は1ドル=3ペソに対し、1ドル=2ペソで払い戻しし、差額分は長期国債で補填と政府が発表し国民の不満が爆発しました。

その後、
①ハイパーインフレが起こり
②国民は海外流出
③治安の悪化
④通貨に対する不信

という苦難の時代が来たわけです。
我が家庭は、『国家経済破綻⇒我が家庭の経済破綻』という憂き目にあい、借金をして日本へ命からがら家族5人戻ってきたのが、2002年の初頭です。だからその時は、今こうやって新しい年を前にしてこんなコラムを書いているなんて事自体全く予想もつかない状況だった。

しかし、「上ったら必ず降りなければならない」のと同様、「落ちたら必ず再度上がっていくことができる」ということは真理なのであって、本人が諦めなければ必ず道はあると実感している。落ちたときにどれだけ謙虚になって初心に戻れるかが何よりも重要ではないだろうか。

「人生やり直し」を決意し頑張っている人を見るたびに、心から応援したいし、強くこう思う。
「絶対に諦めずに最後まで忍耐して欲しい!」
『陽が登らない朝は無い』から。
冬が終われば必ず春はやってくるから。

エガちゃん について

中国に住み着いて14年。 毎日が現場での戦いの連続。絶対に諦めない姿勢で「省エネ・環境ビジネス」確立に挑戦中! これまで日本のどんな企業もやったことの無い大型プロジェクトを追いかける日々です!
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